千葉さなの直筆文書を発見

nonaka122010-08-23

こんなニュースが本日の地方紙にあった。
おそらく1週間で消えてしまうだろうから以下にコピーしておく。
坂本竜馬の婚約者とされる千葉さな(1838〜96年)の署名がある直筆とみられる文書が22日までに、東京都公文書館から見つかった。専門家は、文書の性格などから「本人の筆によるものだろう。初めての発見だ」としている。
 文書は1887(明治20)年の南足立郡役所(今の東京都足立区役所に相当)建設に際し、住居の立ち退きを求められたさなが、建物などの移転料を求め当時の東京府知事に出した「御受届」。
 足立区立郷土博物館の学芸員多田文夫さんは、照らし合わせるさなの文書はないものの、(1)当時、役所に提出する文書は自署が原則(2)武家出身で読み書きができ、代書を依頼した可能性は低い―として「状況から考えると本人の署名と考えられる。初めての発見で、今後の研究を進める大きな一歩になる」と話している。
 さなは「北辰一刀流」を開いた千葉周作の弟定吉の娘で、当時は千住(足立区)で、きゅう治院を営んでいたとされる。
以上引用終わり。


私の聞いている千葉さなという人物像は、武芸にたけ且つ書物に通じとあるから、これはきっと代筆ではないな。
こうなったら写真でも出てこないかな。
まっ、それは無理だろうな。


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 雷雲はどこで生まれるか

あんまり暑かったのでちょっとひとっ走り。
上空の積乱雲に向かって走ってみました。
積翠寺を抜けて太良峠へ、そこを左で水ヶ森林道。すでに気温は27度

途中弓張峠、ここを下ると昇仙峡へ出れますが、かなりの悪路になってしまっています。
ハイキングコースとしては有名だったのですが。
そろそろ黒平と言うあたりで、奥秩父の山々。

おそらくあの辺が、積乱雲の誕生の地だろうなあ。と、ここでは21度、涼しい。
乙女高原手前で左折し、クリスタルラインを黒平に向かって下ります。
途中では花がお出迎え。


以前も通った道だよね、あのころは舗装個所が少なくて、「林道走破術」と言うタイトルでこの道を書いた記憶があります。

そしていつもの大好きなこの山。
荒川源流にある精霊が住むと私が言っている山。
このあたりで24度。
黒平を通り越して昇仙峡千ヶ滝では30度。
違うもんですね。
そして我が家へ戻ったのが、3時間後でした。
ちょっと涼しいドライブコース。
いかがですか。