臥龍山荘へ行った

nonaka122009-02-01

ここは河内寅次郎が構想10年、施工4年の歳月にかけて建設し、明治40年(1907年)に完成をみた。臥龍院、不老庵、知止庵の建造物と借景庭園が広がり、昭和60年1985年に愛媛県指定文化財に登録されている建物で。母屋の臥龍院は数寄屋造りで、清吹の間(せいすいのま)は欄干の透かし彫りにより水の流れを表現し高い天井には屋久杉が使われ、夏をいかに涼しく過ごすかというのがテーマとされている。私が隣の部屋からここへ移って立っていると、足の裏からひんやりしてくるので、これは冬には不向きな部屋だと言ったら、学芸員の方に笑われてしまった。壱是の間(いつしのま)は桂離宮様式が色濃く現れ、三畳の高くなっている部分が殿様が来たときに着座なさる場所だとの事。霞月の間(かげつのま)は縁に仙台松の一枚板が使用、それに溝が掘ってありあたかもナマコ板を合わせで使っているように見せかけている。この部屋は茶室なので侘び寂びの心が壁にも表わされ、わざと土壁がはがれたように塗ってあった。隣の清吹の間との間の半畳ほどの部屋が仏間だと言い、そこで蝋燭をともすと月が出たように違い棚から明かりが見えるのも仕掛けの一つのようだ、しかも違い棚が掛け軸の表に出ているということは一度も掛け軸は外されなかったのかと不思議であった。ここの縁側から肱川をみると、何と3間の間隔に一本の柱もない、その上100年たってもいまだに何の抵抗もなく戸が静か閉まるのだ。


本日の写真は臥龍院から知止庵を見る

知止庵は浴室であったものを昭和24年(1949年)に茶室に改装したとの事、母屋から少し離れて佇む姿は実に清楚な茶室である。そこからしばらく歩くと不老庵にたどり着く。この建物が対岸の道路から見えたやぐらの上に立っている建物だとわかったのだが、天井がドーム型に湾曲した竹のような板の編みこみで出来ていて、夜には月が肱川に反射し、この天井に反射し部屋を照らすのだと言う。実に心づかいの細やかな建物である。外に回って川沿いのやぐらを見ると、自然のまだ生きている槙の木が柱として使われている。化粧柱だろうが、成長しないように手入れをしつつ100年たっているという。何とすごいことを平気でやっているものだ。
これが生きている槙の木

不老庵から臥龍渕を見下ろすと


庭園から肱川を借景に

庭園の中は石畳で歩行導線が確保されていて、石臼や化粧石が実に小気味よく並べられている。これを作る人は一体何を思って作ったのか、世知辛い現代社会では考えられない風情である。


小雨の中ではあったが「来てよかった〜」と言える場所であった。


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