試練

予想はしていたのだが、昨日ある訃報が飛び込んできた。

臨時議会あり、動物園事業につての問題解決のためにあちらこちらへ顔を出したり、常任委員会別懇談会があったりと結構忙しい一日だったのだが、心はすっきりとはならなかった。

私の誕生日直後と言う事もあり「結局人間は新しい歴史を作り出すと言うより、過去の誰かが行ってきたことの継承のため生きているのかなあ」と、ふと考えたらまたまたマイナーな気持ちになってしまった。
精神的な前向きな気持ちが続く限り「青春」と言うのなら、いくら前向きでも天寿には逆らえないじゃないか。
夢を持ち、希望を持って進めと言うのなら、いったい何歳まで持ち続けることができるのか。


どう考えたってあと50年とは生きていられない、いつかは自分の順番が来てしまうのだからという気持ちを心の底に秘めながら、それでも出来る事を一つ一つひたすら追求してゆくことが今生かされている事に対する私の仕事なのだろうか。

せつない思いは募るけど、それが生きている事の試練なのだろうか。
生き続けることのものすごさと、死を迎える事のものすごさの狭間に人の一生は存在しているのだろうか。



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