藤村記念館の北口移転

が着手されたようだ。

3月3日付け山梨日日新聞甲府版」よりお借りしています。
これも私が取り組んできた大きな事業、やっと動いたというのが感想である。
そもそもこの記念館は、旧敷島町睦沢小学校の校舎。それを解体するというので当時の甲府商工会議所の有志が買い取り、その後武田神社内へ再築したものです。
しかしここは武田氏館跡という遺跡の上、歴史的にも全く合わないのですから、撤去が必要だったのです。

それと、北口の多目的広場は区画整理事業のモニュメントが設置される予定だったのですが、それはきっと金ぴかのものになってしまうという嫌な予想。
それらを払拭し、北口らしいモニュメントと考えた時に「藤村記念館」があったのです。
しかも明治10年、イギリスの公使アーネストサトウ(約一日中村と間違えて書いてしまっていました。この方、純粋なイギリス人です)と言う方が書いた日記によると「甲府城の周りはおそらく人口を考えたら日本でいちばん西洋の模倣建築が多い土地だろう、それは官公庁や学校、病院、そして民間の工場に至る建物がこの様式でたてられているすばらしい街だ」としているのです。だったらこの建物は北口しか考えられない、しかも甲府城祉のすぐ近くでと。
とにかく良かったですね。これには市の多くの職員も額に汗して活躍してくれましたよ。