教育とは一体何か

福岡中2いじめ自殺問題は、いろいろな波紋を投げかけている問題である。
一体事の真相は何か、という一番重要な部分が置き去りにされているような気がしてならない。それはいじめが小学校5年生のときからあったという事、そしてその事を「親に知れると親がかわいそうだから」と言って子供はもちろん、その友人達にも言わないでくれと頼んでいた事。そしてもっとも残念なのは「親が知らなかった」と言うことではないか。
日常の出来事で子供の変化に気がつかず、その対策をとることも出来なかった親。
そして、そんな親でも一生懸命にかばっていた子供。
つまり、親の責任に触れている人が殆どいないという現実。
そしてこの事をマスコミ各社は私の一番きらいな「ワイドショー」的な観点からしか捉える事が出来ず、本当の意味での弱いものいじめをしているのが自分たちだということも解っていないのだ。
学校の責任、この言葉ほど無責任な言葉は無いと思うのだが。
それなら教師はその子供達と寝食を共にするしかなくなってしまう、つまり親権の放棄ではないか。


当然教師が吐いた暴言の数々は非難されるべき言葉ではある。
しかしそれが全てでこの子供は自殺に行き着いたのか、むしろ親を悲しませないという言葉と全く逆の「親がもっとも悲しむ道」を取ってしまったのではないか。
今この事件を契機に、「親の義務」と言う言葉をもう一度見直す必要があると私は思うのだが。
その上に教育が成り立っている、この本来的事実は一体どこへいってしまったのだろうか。

少なくとも、このような視点を置いている報道は一社足りとも見えてこない。
これはもうこっけいを通り過ぎ、恐怖感さえ覚えてしまう。