死とは

いったいどの様な物だろう。
仏教や神道では邪気を持ち帰らないよう「塩」をまいておく。
しかし、キリスト教では決して邪悪なものではなく、むしろ一連の神聖な儀式の一つであると考えられている。


直面した事実の中ではなかなか解らない物だが、この辺りに一つの理解の光明たるものがある気がした。
子細は述べたくないのだが、捉える人は我が国では様々な感情を持っているようだ。
これも我が国らしい儒教を根底におく単一民族国家としての自覚なのだろう。


そうした一連の儀式の中でも最も私が感じたのは「いつまでも近くある」と言う考え方のキリスト教である。
このような考えがありながら、過去には宗教戦争を引き起こしていたとは、いったいどの様に曲解されたのだろうか。
不思議である。


キリストの言う、「すべての神は同一である」と言う思想は仏教では通じないらしい。
では仏教で言う「すべての最高神は」と言う問いに対しては、どうも無いらしい。


私にはよく解らないが。
悲しみは、人により、数段の差がある。


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